埼玉県上尾市、さいたま市、伊奈町、桶川市、蓮田市の産婦人科「ひらしま産婦人科」 埼玉県上尾市、さいたま市、伊奈町、桶川市、蓮田市の産婦人科「ひらしま産婦人科」  埼玉県上尾市、さいたま市、伊奈町、桶川市、蓮田市の産婦人科「ひらしま産婦人科」

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ひらしま産婦人科

〒362-0021
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TEL 048-722-1103
FAX 048-722-1146


(C)2001-2016. 埼玉県上尾市,さいたま市,
伊奈町,桶川市,蓮田市の産婦人科
「ひらしま産婦人科」

平嶋産婦人科 マンスリーダイアリー

ひらしま産婦人科 PHOTO MONTHRY DIARY 第14号

2007年>> フォトニュース 
2008年>> 新春号 / 3月・甲子園観戦 / 5月・ゴールデンウィーク / 7月・開院22周年
7月・東奔西走記
 / 8月特大号・アラスカ旅行記-1 / 2
9月・日本の秋を楽しむ / 11月・晩秋の巻 / フォトエッセー特別編「シルバーの手習い」 /年末号
2009年>> 新春特別号 / 3月・シンポジウム編 / 4月・花まつり編  / 5月・「虹」編
6月・「紅」編 / 7月・「ゆりかご」編/ 8月・「華火」編
9月・「スイス巡礼の旅」編-1/2/3/11月・「読書の秋」編
2010年>> 1月・「年頭所感」編 / 2月・冬から春へ/ 3月・国会へ陳情に行く編
4月・お花見に行く編 / 6月・父の日&逆子編/ 7・8月・「海の絵」編
9・10月「魅惑のスペイン 弾丸ツアーの巻」-1/ 2 / 3
2011年>> 1月・年賀状 / 2月・映画鑑賞の巻 / 3月・ドキュメント 東日本大震災 IN ハライチ
4月・上野動物園にパンダに会いに行くの巻
5・6月号 〜初孫 平嶋 湊(みなと)誕生!〜 "ミーナ君  アルバム 第1楽章
7・8月「海の幸&逆子と柔道」編 / 8月付録・ミーナ君アルバム第2楽章「お食い初め儀式」
10月「実りの秋」編 / 「ミーナ君 アルバム」 第3楽章 6か月児はこんなことができるのだ
2011年>> 1月・年賀状 / ミーナのお正月 / 付録2 平成23年1月〜12月骨盤位分娩成績
2月・キネマ旬報賞映画鑑賞会&表彰式 / 3月「卒業45年記念同窓会 IN 東京」の巻 / 4月「今年の桜」の巻
4月「さだまさし還暦コンサート in さいたまスーパーアリーナ 4月10日」 
5月「ミーナの初節句 & ボク 満1歳になりました!!」 / 5月「嵐の5月」 / 6月「祈り」
9月「2 DAYS IN 小笠原」 / 10月付録「ミーナ歩く・走る」


PHOTO MONTHRY DIARY
〜2009年3月 「日本のお産を守る会」 第3回シンポジウム編〜

2009年3月14日(土) 16:00〜20:00、東京ビックサイト・TFKビル:会議室908号にて
産科医療の崩壊を危惧する全ての人々を対象に様々の分野の方が集まりました。
シンポジストとして、以下の発表をいたしました。
最後の総合討論では、 3人のシンポジストへの活発な質疑応答と、
若き産婦人科医たちの活発な意見が闘わされました。

シンポジストとして、
「日本のお産文化は守れるか?
〜開業産科医としての遺言状〜(産科の灯が消える前に言い遺したいこと)」と題して、
発表したスライド30枚&原稿は、このページにてご覧になれます。

講演の「抄録集」は、こちらをご覧ください。
「日本のお産を守る会」第3回シンポジウム抄録集(PDF版)
「日本のお産を守る会」HPはこちらへ

なお当院と「守る会」との関わりは、PHOTO MONTHRY DAIARY 2008年 7月号をご覧ください。

  ひらしま産婦人科

東京ビックサイト前にて 講演前撮影

2009年3月 「日本のお産を守る会」 第3回シンポジウム 講演内容

日本のお産を守る会スライド

私は、産科開業医が、地域密着型の、日本独自の素晴らしいお産文化を
守ってきたのではないかと考えて、本日のテーマを、
「日本のお産文化は守れるか?」 としました。
ではこれから、私の22年半の、「現場からの報告と提言」を述べさせていただきますます。

日本のお産を守る会スライド

話しを始める前に、上尾市が埼玉県のどのあたりに位置するか、
そして埼玉県がどのような医療情況にあるかをマップで示します。
スライドの拡大表示はこちらです。

私が住み、仕事の場としている上尾市は、
埼玉県の中央部よりやや東京寄りにあり、東京まで40キロ圏内です。
隣接して、さいたま市、県内ただひとつの総合周産期母子医療センターのある
川越市、 県立小児医療センターのある蓮田市があります。
ちなみに、先日アメリカで日本人初のアカデミー賞をとった「おくりびと」の
本木雅弘(モックン)は、隣町桶川市出身です。
 
私はその隣の上尾市で、22年半に渡って、「むかえびと」として、
12,237人 の赤ちゃんを上尾の地に迎え入れてきました。

ところで、埼玉県は、全国最低の「医療資源県」と言われています。
県総人口、710万人、年間出生数61,000人に対して、
総合周産期母子医療センターは1箇所のみです。
その上、最近になって2次産科施設が次々お産を取り辞めたり、
お産予約制限をしたりで、全国ワーストワンの医療資源県の地位を不動のものとしています。

1986年、「理想の産院」をつくりたいと思い、誰ひとり知る人、頼る人のいない
上尾の地に 「武蔵野の自然に魅せられて」というだけの理由で、
おさない子供たち4人を引き連れて 東京 神田から移り住みました。
開業時は、7床の有床診療所として、助産師ひとり、准看護師ひとりを含むたった数名でのスタ−トでした。

日本のお産を守る会スライド

それでは、当院開業1986年7月以来の分娩数・
帝王切開数及び私がとり扱った分娩 数の年次推移を示します。
スライドの拡大表示はこちらです。

最初の半年間の分娩数は 19件 のみでした。
その後 分娩数は増加し、お産に専念するため、5年目に緊急を必要としない
子宮筋腫などの婦人科手術はやめました。10年間はほとんど一人でやってきました。
ピーク時の10年目は、年間800件のお産のうち720件を私が取り扱い、
寝るひまもない毎日でした。
2008年12月までの 22年半の分娩総数は 12,237件
その内 9、956件(81%)を私が取り扱いました。
年間平均取り扱い分娩数は 442件 となります。

日本のお産を守る会スライド

これは 私が赤ちゃんを取り上げている場面です。
  隣に当院の助産師がいますが、当院では、ほぼ全例を このように
  ドクターが取り上げ、胎盤娩出までをドクターが行っています。
  看護師・助産師には 娩出前、娩出後の観察をまかせていますが、
  その際もドクターへの「報告」「妊婦さんから一瞬とも離れないこと」を徹底して教育しています。

お産は外来診療中でも、夜中でも、明け方でも、時を選ばずやってきます。
  私のお産とりあげを可能にしているのは、看護スタッフたちのこのような働きによるところが大きいのです。
  このことは、のちほど、「産科開業医の利点」でおはなししますが、
  私が年平均 442件 取り扱ったということは、重要なことなのです。

日本のお産を守る会スライド

開業以来の22年半の分娩統計です。

  • 分娩総数   12,237件
  • 帝王切開   701件 (帝王切開率は5.72%)
  • 骨盤位経膣分娩 302件 (骨盤位妊娠 399件  76%を経膣分娩し、成功率は90%でした)
  • VBAC 176件 (VBAC 成功率 93% 子宮破裂は1例もありませんでした)

私は 東京 浜田病院で、故小畑英介院長のもと 開業できる「夢」があったので
15年間の 厳しい修行に耐えることが出来ました。
小畑院長は、帝王切開の適応に大変きびしく、骨盤位経膣分娩・VBACは当然と
教えられ、鉗子などの産科技術を学びました。
従って当院の帝王切開率は低率になりました。
母体へのリスクを考えると 帝王切開は最後の手段でありたいと思ってきました。
集約化によって、帝王切開も増え、あっという間にアメリカのレベルに達すれば、
今度は帝王切開に対する訴訟も増えるのではないかと危惧します

当院は 2000年に総合周産期母子医療センターができるまでは、
前置胎盤・胎盤早期剥離・双胎分娩 1,500g以下の極小未熟児を含む
ハイリスク分娩もあつかってきました。
では、そのようなハイリスク分娩を 町の小さな一次産科診療所で
どのように取り扱ってきたかを次のスライドで示します。

日本のお産を守る会スライド

キーワードは「ドクター搬送」です。
ドクター搬送 専門医の集結が 当院のハイリスク分娩を支えてきました。

母体搬送が間に合わない場合の 胎盤早期剥離などの 緊急事態発生と
同時に 私は 事務長(家内)に、応援医への電話連絡を指示します。
看護スタッフは、すぐにオペ準備にとりかかります。
未熟児出産の時は わたしが 小児医療センターに連絡し、当院での待機を要請します。
応援医は、当院ネットワーク網にのっている 県立病院婦人科医
地域の産婦人科医・外科医 県立病院麻酔科医・提携している麻酔医などです。
常日頃、あらゆる方法で 出産したかたのご主人や息子の先輩などのつてを頼って捜しています。

こうして麻酔医到着と同時にオペ開始です。
妊婦さんは 誕生室となりのオペ室へは5歩で移動でき、かかえていくことも簡単です。
応援医たちは 深夜でも 医師としての使命感からかけつけてくれました。
看護師も 目の前の寮から数分でかけつけてくれます。
当院の看護師は全員が器械出し、交叉試験もすぐにできます。
このような方法で、当院は多くのハイリスク分娩を無事行い、未熟児も救ってきました。
「ドクター搬送」のもうひとつのキーワードは 医師への「報酬」をその場で
支払うということです。しかし、県立小児センターのドクターたちには これまで
支払ったことがありません。彼らは「無報酬」で夜中でもきてくれました。
今後このようなことは改めるべきことで、その場に駆け付けてくれた医師個人に
きちんと支払う方法を作ってほしいものです。

2002年・2004年 2度にわたる「看護師内診」禁止の看護課長通知、
2006年 読売新聞の「一人産科開業医のお産は危険」「健診は診療所 お産は大病院で」の
報道で、産科開業医は「誇り」と「勇気」と「やる気」を奪われました。

私は このころから「母体搬送」を考えざるを得なくなりました。
しかし、胎盤早期剥離の症例で、母体搬送中に胎児が死亡した経験が1例あり、
その時「母体搬送」の危険も感じました。

「内診禁止問題」で、極端に助産師が不足している 一次産科診療所は
お産の場から撤退せざるを得なくなりました。お産取りやめ施設が増えるにつれ、
3次施設はハイリスク母体搬送受け入れ不可能となりました。
役割分担の機能不全によるジレンマの中、わたしの苦悩は深まるばかりです。
一次施設は「危険」「ハイリスクは取り扱うな」
一方 三次施設は「ハイリスク受け入れを断る」ではまさに産科崩壊です。

わたしが経験してきた「ドクター搬送」で救命しえた症例と、
「母体搬送」を断られ続けた症例のごく一部をご紹介します。 

日本のお産を守る会スライド

症例1 1986年 9月 開業3ヶ月目
妊娠25週5日の妊婦さんが、陣痛が始まって東京の大病院に車でむかう
途中我慢できなくなって、当院の看板を見つけてトビラをたたきました。
わたしは はじめて県立小児医療センターに連絡し、新生児科医がかけ
つけてくれ、入院50分後 780gの極小未熟児が生まれました。
ただちに児搬送。以降152日間の小児センターでの手厚いケアの末、
元気に退院との報告を受けました。
患者さんは東京の病院に通院中とのことで、
集約化のケースでは助からなかった症例でしょう。

症例2 1986年 10月 28歳2経産婦 妊娠39週0日
不全子宮破裂で子宮全摘出術施行の症例です。
輸血量12,000ml 地域の産婦人科医と麻酔医の応援で、
緊急手術は深夜にまでおよびましたが 母子ともに救命しました。
長い時間つきあってくれた応援医に感謝です。

日本のお産を守る会スライド

症例3 2007年 7月 21歳 初産婦 妊娠25週4日
あさ 前期破水で入院 土曜日の午前中一杯かかって
搬送先を電話でさがしましたが、埼玉・東京・栃木 18箇所で
ことわられ続け、搬送先さがしをあきらめました。
月曜日朝、小児センターへ児受け入れ要請する。
一日でも長く母胎内にとどめるようにいわれ、マグネゾール併用。
夜中何度も心音低下で いつ緊急帝切になるかもしれないという
まんじりともしない夜が続いたのち、水曜午後当院にて帝王切開施行。
750gの未熟児出産。
同年11月小児センターを元気に退院の知らせがありました。

症例4 2009年 1月  妊娠31週2日
切迫早産で入院中の妊婦さんが破水し、陣痛がおさまらず、県内周産期センターに
電話すると母体搬送は帝王切開になるとの返事があり、
妊婦さんはオペに同意せず、経膣分娩希望。
その後周産期センターから小児科医2名駆け付けてくれ、待機し、
2時間後経膣分娩で、1、800gの男児出産、赤ちゃんを救急車で搬送してくれました。
もし母体搬送していたら、途中で生まれてしまったリスクもある中、
当院で待機してくれたふたりの小児科医には、大変感謝しました。
しかし彼らに 報酬を支払うことができません。
今後はハイリスク妊娠分娩管理加算で、担当医師に支払われるような
制度運用をのぞみます。

次に「産科開業医の利点」について述べさせていただきます。

日本のお産を守る会スライド

  1. 医療資源の有効活用ができる
    開業医には 「定年」がない
    生涯現役医 として働き続けることができます。
    一人の産科医のあつかうお産の数は多い。
    先ほどの当院の分娩統計では、わたしひとりの年間平均取り扱い分娩数は442件でした。
    一次施設がお産をとりやめたら、二次 三次がたちゆかなくなるのは、
    このことからもおわかりになると思います。
  2.  「一国一城の主(あるじ)」として 簡単にやめない・やめられない
  3. 画一的(かくいつてき)でない医院の特徴がだせる
    妊婦さんに 産院えらびの選択肢を与えることができます。
  4. 院長の診療方針の統一ができる
    指揮者は院長ひとり、スタッフはオーケストラの楽団員です。
    全スタッフの性格・能力の把握が可能です。
    大きな病院と違って、少ない人数の職場でフットワークがよく、意思疎通も容易です。
    煩雑な雑事も少ないです。 当院は2交代制です。
  5. 職住接近 職場の中に自宅 があるため 緊急事態にすぐ対応できます
    開業から7年間は、診療所と住居は一緒でした。
    わたしの寝室のとなりが誕生室で、分娩監視装置の音が子守歌がわりでした。
    リズムが乱れるとすぐ緊急事態とわかりました。
    一方、「一の訴訟」「一人のわるい風評」はまたたくまに町にひろがり、
    地域の産科施設は簡単につぶれされてしまいます。
    そのような大きな責任をせおっているのです。
  6. 女性の生涯にわたる主治医 かかりつけ医
    ひとりの妊婦さんの 妊娠・出産・子育て支援まで、
    一貫して一人の産科医が見続けることができます。
    妊婦さんは、二人目、三人目の時も 同じ場所で、同じスタッフに囲まれて
    「ふるさと」である当院で、お産ができます。
    「孫」のお産まで手掛けた時は、産科医を続けてきてつくづくよかったと
    「やりがい」や「生きがい」を感じます。
  7. 家族的なお産・きめ細やかなケア・アメニテイーの充実
  8. 産科医は職人、技術の継承ができる

では、ここでしばらく、わたくしのところがどのように 
「家族的なお産」をおこなっているか、スライドで示します。

日本のお産を守る会スライド

この親子と赤ちゃんの写真は「ひらしまっこ 2世 当院 孫2号」の退院記念写真です
    毎朝 退院の時 ステンドグラスの前で 事務長が撮ります。
診療のあいまに この光景を見ながら 「安堵」と「よろこび」を感じる瞬間です。
特にこの方は、当院で18年前に生まれて ふるさと、つまり
わたしの産院にもどって 自分の赤ちゃんを産んでくれました。
アンケートには「ここで生まれて、ここでお産できてよかったデス」と書いてくれました。
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日本のお産を守る会スライド

この方は 当院「孫3号」を産んでくれました
    すでに2児の男の子のママで、次は女の子がほしいといってます
    「わたくしも娘を産んで 3代でお世話になれたらななんて思ってます」と書いてくれました。
    彼女の夢の実現のためには せめてわたしのむすこが継げる
    ような産科診療所存続の施策が必要です。
   「健診は診療所 お産は大病院」では彼女の夢の実現はありません。
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日本のお産を守る会スライド

これは当院の「誕生・退院すきやきパーテイー」のスナップです。
   わたしを囲んで、お産の思い出を話したり、ひとりひとりのお産の説明をしたりします。
開院以来続けています。鍋を囲んでママ友の輪がひろがります。

日本のお産を守る会スライド

朝の診療の始まる前、患者さんに呼び止められてとられました。
   わたしが抱いているのは2年前逆子で生まれた子です。
   この子のおかあさんは今回3人目を出産しました。
   他に今回逆子だった2人、VBACだった方一人がいます。

日本のお産を守る会スライド

毎週金曜日 小児科の先生の健診があります
  1ヶ月から1歳まで 月1回かよってきて 満1歳で 
  「赤ちゃん卒業」の記念撮影をします。その時のスナップです。
  ママたちは全員3人目の子が、満1歳を迎えた方達です。
  自分の孫がどんどん増えていくようでうれしいです。
  
これから 退院の時に残してくれる 「感謝のことば」のアンケートをお見せします。
このような言葉が「励み」になり、「産科医」を続けていく「勇気」を与えてくれます。

日本のお産を守る会スライド

妊娠37週で逆子で当院来院しましたが、安心したのか
   逆子が治りましたが 臍帯下垂で赤ちゃんが危険な状態になり
   鉗子分娩で無事生まれました。
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日本のお産を守る会スライド

他院で妊娠37週で帝王切開をすすめられましたが、
   どうしても自然分娩したくて 当院に転院してきた妊婦さんです。
   夫婦のよろこびの声を聞くとき苦労がむくわれます。
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日本のお産を守る会スライド

当院で逆子で出産した看護師さんがついてくれたので
   安心して産めましたと書いてくれました。
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日本のお産を守る会スライド

当院では和室が2つあり人気です。庭には、にわとりやわんちゃんがいて心やすらぎます。
こどもさんもいっしょに過ごせて、自分の家でお産をしているようだと書いてくれました。
こうして地域に根付くことで「地域のお産の守り神」にもなれるのが、
「産科開業医の利点」ではないでしょうか。
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では次に「日本のお産文化とは」について考えてみます。

日本のお産を守る会スライド

  1. 戦後、助産婦による自宅分娩から、地域密着型・産科開業医による
    「お産」となり 母子ともに安全なお産 ができるようになりました。
  2. 産科開業医は自然分娩を重視しつつ、母子の命が危険となった時は、
    産科学の知識と産科技術を駆使して、安全なお産をにないます
  3. 一人の産科医が、一人の女性の 妊娠から出産さらに子育て支援までかかわれます。 
    継続すれば、孫出産までの付き合いとなります。
  4. 世界にほこれるハイレベルの周産期医療を 「安価」な費用で提供しています。
    これらは 日本の産科医たちの「努力」と「犠牲」で成り立っています。
  5. アメリカ型 ベルトコンベアー式出産は日本人にはなじまないと思います。
    アメリカと日本の文化が違い、欧米人と日本人の体格も違います。
    日本の女性のお産はどちらかといえば静かで、いたみにもよく耐えて がんばります。
    国土については、山や川の多い日本で、集約化は妊婦さんに不便をしいることに なります。

「日本型お産」について もう少し考えてみます。

日本のお産を守る会スライド

日本の帝王切開率はアメリカに比べてまだ低いです。
    産科技術が継承され、帝王切開以外の方法での出産が維持される時、
    日本女性の美徳といえる「耐える精神」が残りその遺伝子は子供に伝わる。
    お腹を切らなければ、3人、4人、出産も可能で少子化への歯止めにもなり、
    こどもが増えることがもっとも経済効果が大きくなります。
アメリカ型をまねをするばかりではなく、日本独自の分娩方法を維持することが、
世界に伍して日本が生き延びる道です。

では、この「日本型お産を守る」ためには、どのような産科医療体制がいいのかを考えてみます。

日本のお産を守る会スライド

「富士山型産科医療体制が日本のお産文化を守る 」です。
富士山の裾野を、産科開業医が守る。
二次、三次のお産を、開業医が支える。
一次診療所がお産取り扱いをやめなければ、
後継者もお産をするために、産婦人科に入局し、
厳しい修行も将来の開業のためにと耐えることができる。

反対に、産科開業医がお産をやめると、
二次、三次に妊婦さんが押し寄せ、
勤務医は休む暇なく働いて、疲弊し産科から去っていく。
産科は崩壊し お産難民が流出することになります。

電信柱のような産科医療体制は簡単に倒れて、電線は切れて、
街の灯は消え 「うぶ声がきえます」。

日本のお産を守る会スライド

「産科開業医の存続が産科医を増加させる」について、少し説明します。

わたくしの勤務医時代をささえたのは、いつか「一国一城の主」となって、
理想の産院をつくるという 「夢」でした。
大病院の過酷な勤務も、いつか一国一城の主になれるという目標があれば、
多くの勤務医は過酷な勤務は将来のための「修行」と考えて
耐え頑張れるのではないでしょうか。
  
「お産」もできて、妊婦さんからも「必要」とされ、そこに「やりがい」や
   「いきがい」があるなら、産科医を目ざす医者のたまごが増えるのではないでしょうか。
  
では、このような「夢」をはばむものは何かを考えてみます。

日本のお産を守る会スライド

  1. 看護師内診問題が、まだはっきり解決していません。 
    看護課長通知が削除され、看護師が医師のもと内診をしてもいいとはっきり示してください。
  2. 1次・2次・3次施設が、「連繋」し「役割分担」し、2次、3次がハイリスク受け入れ可能となる
    システムにならない限り安心して、安心して開業はできなくなります。
  3. 当院のハイリスク症例取り扱いで紹介した、「ドクター搬送」ですが、平成18年から 
    県立病院の医師の応援は不可能となりました。 「公務員のアルバイト禁止令」のためです。 
    公務員が自分の休日に他の病院に手伝いに行ったり、
    そこで報酬を得ることを法律でしばらないでください。
    医師の交流の場、情報交換の場としても必要です。
  4. マスコミ・NHK はなぜ 繰り返し 助産所お産礼賛番組を流し続けるのでしょう。 
    テレビで 診療所のお産をとりあげることはほとんどありません。
    「現実」「現状」にそった 「正しい医療情報の提供」を心掛けるべきです。
  5. 「健診は診療所・お産は大病院」の施策は、診療所の生活の補償を奪い、
    「誇り」や「生きがい」を奪うものです。

わたくしからの提言です。

日本のお産を守る会スライド

  1. 提言 T さきほどのスライドで示した@〜Dの「障壁」の撤廃です。
  2. 提言 U
    1. そして、今いる「人材」といまある「施設」の有効活用をすることです。 
      莫大な国家予算を使って、「箱」をつくっても、「人材」がいなくては何もはじまりません。
    2. 発想の転換をする、それが「ドクター搬送」です。
      その時、ドクターにきちんと「報酬」をあげることです。 
      そして、その報酬に「税金をかけない」でください。
      夜中はたらいている医師の「当直料」も「非課税扱い」にしてください。
      夜中一睡もしないで働いている人から税金をとるようなことはすべきではありません。
    3. 繰り返しになりますが、「誇り」や「やりがい」や「勇気」を奪う施策の撤廃をおねがいします。
      これらは、現実を無視し、妊婦さんの声も無視し、診療を不可能 とする施策です。

わたくしの「提言3つ」は今すぐ 一銭のお金もかけずにできることです。

日本のお産を守る会スライド

分娩のできる地域密着型診療所の存続こそが、最も重要な産科医増加につながり
産科医療崩壊を防ぐと思います

日本のお産を守る会スライド

「妊婦さんへのお願い」です。
さきほどのスライドで紹介したように、妊婦さんの「感謝」の声は、「産科医」にやる気を100倍与え
    わたくしを「励まし」続けてくれ、現場にとどまらせてくれます。
    反対に理不尽なクレーマーは、産科医のやる気を奪い、産科医減少
    につながります。それが、結果として妊婦さんの不幸につながります。

日本のお産を守る会スライド

「産科医を目ざすかたへ」
   わたくしが産科医になった理由ですが、昭和43年 東大インターン闘争の最中、
悶々とする日々を過ごしておりました。その時先輩のすすめで、
佐渡が島の診療所で働くことになりました。
そこで待っていたのは来る日も 来る日も、「死を看取る」ことでした。
   その時どうしても「死亡宣告」をいうことができませんでした。
   父のすすめと、生命誕生の時、「おめでとう」なら言えると思い、産科医を目ざしました。

日本のお産を守る会スライド

「私の産科医としての心構え」を申しあげます。
   お産は、特に不確実な部分が多く、刻々と変化する状況を迅速、
的確に判断しなければなりません。
   赤ちゃんが危険な状態におちいった時、
帝王切開か経膣分娩するかの一瞬の判断を強いられます。
   「産科医生命」を絶たれるかもしれない立場にいつもたたされています。
   武士道精神なくして「お産」はやっていけません。

日本のお産を守る会スライド

日本の象徴 「富士山」の広い 裾野を支えるのは「産科開業医」です。
現場の声・妊婦さんの声・産科診療所の存在を無視した、 「理想」ばかりを追う政策が続く限り
すべての「産科医」 は日本からいなくなります。

裾野に 「 産科開業医の存続」があってこそ、「富士山型」の産科医療体制が維持され、
素晴らしい「日本のお産文化」が守られるのです。

日本のお産を守る会スライド

この絵は、わたくしの郷里館山を気に行って移り住んだ画僧 岩崎巴人 先生が、
わたくしの日常を思いながら描いてくれた絵です。今 六本木国立新美術館「水墨画秀作展」に
賛助作品として出品されています。その後当院に飾られます。
これからは当院で生まれる あまたの赤ちゃん おかあさんを見守ることになります。

本日はご静聴 まことにありがとうございました。 


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