ひらしま産婦人科 PHOTO MONTHRY DIARY 第44号
2007年>> フォトニュース
2008年>> 新春号 / 3月・甲子園観戦 / 5月・ゴールデンウィーク / 7月・開院22周年
7月・東奔西走記 / 8月特大号・アラスカ旅行記-1 / 2 / 9月・日本の秋を楽しむ
11月・晩秋の巻 / フォトエッセー特別編「シルバーの手習い」 /年末号
2009年>> 新春特別号 / 3月・シンポジウム編 / 4月・花まつり編 / 5月・「虹」編
6月・「紅」編 / 7月・「ゆりかご」編/ 8月・「華火」編 /
9月・「スイス巡礼の旅」編-1/2/3/11月・「読書の秋」編
2010年>> 1月・「年頭所感」編 / 2月・冬から春へ/ 3月・国会へ陳情に行く編
4月・お花見に行く編 / 6月・父の日&逆子編/ 7・8月・「海の絵」編
9・10月「魅惑のスペイン 弾丸ツアーの巻」-1/ 2 / 3
2011年>> 1月・年賀状 / 2月・映画鑑賞の巻
3月・ドキュメント 東日本大震災 IN ハライチ / 4月・上野動物園にパンダに会いに行くの巻
5・6月~初孫 平嶋 湊(みなと)誕生!~
ミーナ君アルバム 第1楽章
7・8月「海の幸&逆子と柔道」編 / 8月付録・ミーナ君アルバム第2楽章「お食い初め儀式」
10月「実りの秋」編 / 「ミーナ君 アルバム」 第3楽章 6か月児はこんなことができるのだ
2012年>> 1月・年賀状 / ミーナのお正月 /
付録2 平成23年1月~12月骨盤位分娩成績 / 2月・キネマ旬報賞映画鑑賞会&表彰式
3月「卒業45年記念同窓会 IN 東京」の巻 / 4月「今年の桜」の巻
4月「さだまさし還暦コンサート in さいたまスーパーアリーナ 4月10日」
5月「ミーナの初節句 & ボク 満1歳になりました!!」 / 5月「嵐の5月」 / 6月「祈り」
9月「2 DAYS IN 小笠原」 / 10月付録「ミーナ歩く・走る」
フォト・マンスリー・ダイアリー2月号
「キネマ旬報賞 映画鑑賞会&表彰式」
バレンタイン・ チョコレ-ト
キネマ旬報ベスト・テン第一位映画鑑賞会と表彰式会場
2012・2・4 銀座ブロッサム
5Kgのトロフィーは誰の手に
文化映画作品賞 「大丈夫。(マル)―小児科医・細谷亮太のコトバ―」
細谷亮太先生は、聖路加国際病院副院長として、40年間に亘って小児がん治療の最前線で、小児がんを生きる子供たちと闘ってきました。
子供たちとの幸せな時間の共有を目指し、毎年夏休みにキャンプで、
自然の中で楽しい一時を過ごし、将来の夢をかたっています。
その活動の10年間を追い続けたドキュメンタリー映像が今年の文化映画作品賞に輝きました。
「大丈夫。(マル)」
映像の中には、細谷先生の聖路加国際病院での診察風景、時々戻る山形の実家での
お父様が遺された診療所で、街の小児科医として、山形弁まるだしで、顔なじみの子供たちに
接する姿もとらえています。
再会を楽しみに別れた子供たちの何人かは、翌年の参加が叶わず、
天国へと旅立っていきます。
先生は、
「悲しいときに、泣けなくなったら 医者を辞めるべきと思っています。」と語り、
遺影に向かって涙をうかべます。
40年たって、医学の進歩は、小児がんの70~80%を治癒可能とし、病を克服した子供が
成人を迎え、元気に日常生活をおくることができるようになりました。
それでも先生は40年間で、300人もの子供たちを看送らなければならなかったそうです。
先生の俳句が時々画面に写ります。
生まれた命は生きるほうへ向かう。『大丈夫。』は先生のいつも発することばです。
私は、産科医としの40年で、小児がんの患者に触れ合う機会はほとんどありませんでした。
どのような命も生まれ出た瞬間から、死へと向かいながらも、強靭な生命力で生を全うしようと
するものです。医者という仕事は、その生をよりよく生きる手助けをする仕事だと思います。
「一枚のハガキ」ポスター
最後は 日本映画ベスト・テン第1位作品「一枚のハガキ」上映。
今年99歳の新藤兼人監督が、自らメガホンを執った49作目の作品。
監督自身の戦争での実体験(戦争末期中年兵として徴収され、100名のうちの生き残った
僅か6人の一人として)を土台として、どうしても伝えたかった『魂のセリフ』を込めた作品です。
戦争によってすべてを失った生き残りの兵隊(豊川悦之)と、同じく戦争によって二人の夫を
失いながらも"生き抜こう"とする未亡人(大竹しのぶ)との一枚のハガキを通して結びつき、
再生に向かって行く姿を活写している。
上映会後の表彰式の最後に、会場に集った全員のスタンデイングオベイションと拍手に
迎えられて、新藤兼人監督が登場。
監督の99年の人生の略歴が、司会のフジテレビアナウンサー笠井信輔さんから
紹介されました。
マイクを渡された監督の口からは、
「若い頃、映画の世界に入りたくて、照明係を希望したが背が足りなくて道具係として入社。
映画監督などはるかエベレストのかなたにある仕事に思えた。
今回の映画で描きたかったのは、『「なぜ私が存在するのか?ということ。』」
5Kgのトロフィーを手に監督は、
「いま私が存在していることが、"ベストワン"です。」
と言って、会場から大きな拍手が湧き起こりました。
今回は、もうすぐ100歳を迎える監督の、映画人生最後の作品として渾身の一作で、
「生きている限り 生きぬきたい」という監督のメッセージの込められた作品が、
見る者に、戦争の無意味さ、悲惨さを静かに伝える作品となって結実。
日本人として、ぜひとも見ておくべき映画です。
表彰式には、
主演女優賞 永作博美(「八日目の蝉」により)
助演女優賞 小池栄子(「八日目の蝉」・「RAILWAYS」により)
新人女優賞 忽那汐里(「少女たちの羅針盤」「マイ・バック・ページ」により)
らが、壇上で、女優の華やかなオーラを放っていました。
招待席には、我が家の子供たちが、30年前、聖路加病院小児科でお世話になった
細谷先生も同席していらしたので、ご挨拶しました。
昨年同様、今年も長男からのビッグプレゼントに、久しぶりの都心での映画鑑賞に
浸ってきました。
そして、99歳現役映画監督、新藤兼人監督に直にお目にかかれたことは、私の
「生涯現役産科医」でありたいという願いに勇気を与えてくれた一夜でした。
記:2012・3・3 お雛祭りの日
お雛祭りの日、当院でも、PM1:22「桃衣(ももか)」ちゃん 3,540g 誕生。
毎年好評の、お雛様の日恒例「お雛様寿司」はひらしま産婦人科キッチンメンバーの労作です。
付録:「ミーナの立ち姿」
9か月を迎えた「ミーナ」は、ハイハイ 立ちあがりができます。
パパにパンチ!
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